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2017年11月23日

行商日記

行商日記 第38回【更新終了しました。これまでご覧いただきありがとうございました】

西荻窪の期間限定店舗オープン初日。昼の11時30分から夜の22時まで、
一人で休みなく働く怖さをこの時はまだ知る由もありませんでした。

店内のBGMは、我らが海士町の民謡である「キンニャモニャ節」。

ちなみにキンニャモニャ節とは、日本の各地から北前船で伝わったという説や、
キン(金)もニャ(女)も大好きで、モニャ(文無し)な爺さんこと
杉山松太郎さんが歌ったという説など、さまざまな説があります。

さて。

オープンの看板を出してから20分ほどすると一人の女性がお店にやってきました。
ぼくは震えそうになる手で水をお出しし、カウンターに座る女性との1対1の対峙に
ボクシングに似たような緊張感がほとばしっているのを感じました。

「この寒シマメっていうイカの漬け丼をください」
「はい。ありがとうございます。少々お待ちください」

ぼくはイカの漬け丼を作りながら、
カウンター商売の難しさをひしひしと感じていました。
お客さまが本を読んでいたら良いのですが、特に何をするでもない場合、
話しかけてよいものなのか、黙っていた方がよいものなのか、全く分かりません。
ただ、観光協会という立場上、ここはとにかく話しかけるという選択を取ります。

「ご近所の方なんですか?」
「ええ、そこでアイスクリームのお店をやっているの」
「あ、こんど食べにいきます」
「ありがとう。でも、一人でお店やるの大変でしょう?」
「そうですね、実ははじめてなんで緊張しています」
「あら、そう?慣れた感じがするけれど」
「今まではキッチンカーで販売していまして」

女性はキッチンカーの販売のことや、海士町のことや、離島キッチンの将来の夢など、色々と話を聞いてくださり、最後の方にはお店の経営のことなどかなり詳しいことを
教えてくださいました。

後で知ったのですが、女性は西荻窪のアイスクリーム工房ぼぼりという有名なお店を
やっていらっしゃる方で、その後、1週間の間に4回も離島キッチンに通ってくださいました。

オープン初日の幸先良いスタートを切ってくださったお客さまでした。

文 佐藤 喬

2017年08月19日

行商日記

行商日記 第37回

1週間限定の店舗オープンまであと3日。
ぼくは準備の忙しさのあまり歌をくちずさむようになりました。

「夢と飲むから美味しいさ~、オジー自慢のオリオンビール~♫」

離島キッチンのコンセプトとして沖縄本島は商品ラインナップから
外して考えているのですが、この期間限定店舗ではビールはオリオンを
扱わせていただくことにしました。その他のアルコールは、島の焼酎のみ。

竹芝にある「東京愛らんど」に各島の焼酎を買いにいき、
カウンターテーブルにずらりと並べると、それなりにお店っぽくなりました。

「島とつくものなんでも好きで~♫」
「···すいません」
「おばーが夕飯炊いてるさ~♫」
「···あのう、すいません」
「ひゃっ!」

入り口には困惑した表情の若い女性が立っていました。
高らかにビブラートを効かせて歌を唄っていたぼくは顔を赤らめます。

「すいません、ここお店になるんですか?」
「はい、3日後からオープンする予定です。1週間限定ですけど」
「何のお店ですか?」
「全国の島の食事やお酒を集めたお店なんです」
「沖縄料理ですか?」
「いや、沖縄だけじゃないんです」

若い女性は、沖縄料理じゃないのにBEGINを高らかに歌っている状況に
すこし混乱しているような気がしました。

「もしかして離島キッチンというお店ですか?」
「はい。ご存知なんですか?」
「前にテレビのニュースで見ました。たしか車で販売してましたよね?」
「取材の時はそうでした。今回は固定店舗にチャレンジということでして」
「わー、食べて見たかったんです、あのイカの丼。オープンしたらきますね」
「ありがとうございます。お待ちしておりますね」

若い女性はBEGIN問題を解決したせいか、晴れ晴れとした表情で去っていきました。

文 佐藤 喬

2017年08月06日

行商日記

行商日記 第36回

売れたり、売れなかったり。
あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

根無し草のような行商販売も傍目には気楽なように思えますが、
実際にやってみると現実的な苦労が絶えません。

安定した販売場所がない移動販売は、売る場所を探すのがとにかく大変。
イベントを探しては主催者に連絡をして、書類のやりとりをして、
さらには保健所の許可をとってと準備だけに2~3日はかかります。

イベントを探す→書類のやりとりをする→販売をする→イベントを探す···。
この無限ループから脱却するには、何かアクションを起こさねばと思っていた矢先。

お世話になっている島根県庁のJさんが、「佐藤くん、お店やってみない?」と
面白そうなご提案をしてくださいました。

とはいえ、常設店舗ではなく「期間限定」でのお店とのこと。
条件は下記のようなものでした。

場所:西荻窪から徒歩2分
客席:カウンター6席と4名テーブル1席の合計10席
期間:4月中旬の1週間
家賃:10万円/週

客単価とか回転率とか、今となってはそれっぽい専門用語を語りそうなものですが、
当時のぼくが知っている単語は「売上」と「仕入」のみ。

家賃が高いのか安いのかの判断もまったくできませんでした。
さらには、損益計算書であったり、原価率であったり、販売管理費であったり。

店舗運営に必要な知識はまったくのゼロで、
ただ阿呆のように「わーい、お店やりたい」と思っただけでした。

さて。阿呆なりに準備を進めるも、どうやら1週間だけの期間限定とはいえ、
お店をオープンするには、盆と正月が一気にやってくるほどに大変という事実に気づき始めます。

「何から手をつければ良いんだろう?」

途方に暮れながら、オープンまであと3日と迫っていました。

文 佐藤 喬

2017年07月23日

行商日記

行商日記 第35回

NHKの放送がある時間、ぼくは秋葉原のヨドバシカメラにいました。
17時のニュースが始まり、離島キッチンの放送は17時30分頃。

ぼくはNHKを流している10台のテレビの前のソファに座り、
大学受験の合格発表を待つような気持ちで放送を待ち続けていました。

「それでは、次の話題です。都心でちょっと変わったキッチンカーを見つけました」

テレビの画面が切り替わり、見覚えのあるキッチンカーが画面に映し出されます。
画面のテロップには、「離島キッチン」の文字。

ぼくはテレビ画面を見つめながら、この「非日常」に頭がクラクラしてきました。
10台のテレビ画面に映し出される離島キッチンの車体が懐かしく思えます。

そして接客をするぼくの顔が10台のテレビ画面に映し出されました。
番組のナレーションは一切、頭に入ってきません。
テレビ画面で何かを話しているぼくの顔が、全くの別人にしか思えませんでした。

時間にしておそらく5分ほどの番組だったと思うのですが、
体感としては5秒にも5時間にも思えるくらい、時間の感覚が欠落していました。

そして、離島キッチンのコーナーが終わり、番組は別の画面に切り替わります。

···ガヤガヤ、ガヤガヤ。

ようやく自分の耳に、店内の雑踏やテレビの音など現実的な音が届き始めます。
わずかな時間ではありましたが、ぼくは別の世界に紛れ込んでいたような感じでした。

そして、現実的なノイズに体と耳が慣れはじめてきた頃、
ぼくは、今まで経験したことのないような虚無感に襲われました。

ちょっと落ち込んだりというような生易しいものではなく、
圧倒的な力で胸の奥に屹立する純度100%の虚無感。

立ち上がるのも億劫だし、呼吸をすること自体も面倒臭いと思えるような感覚。
ぼくはこのままヨドバシカメラのソファに溶けて消えてしまいたいとすら思いました。

どれくらいソファに座っていたのか、今となっては思い出せません。
ただ、その虚無感からかろうじて救い出してくれたのが、
テレビ画面のフクロウでした。

理由はわかりませんが、とにかくフクロウの姿をみて、
ぼくはすこしだけ元気が出ました。

NHKと虚無感とフクロウ。

その後、数週間にわたってテレビや新聞の取材が立て続けに入り、
ぼくは紙皿や割り箸のような「消耗品」になった気分をしばし味わい続けます。

そんな折、ある「お誘い」が舞い込んできました。

文 佐藤 喬

2017年07月05日

行商日記

行商日記 第34回

中目黒での販売とNHKの撮影がうまく回りはじめ、ホッと一息つこうとした瞬間、
すこし離れたところで強面の男性が、ぼくをジッとにらんでいました。

男性は、ライオンが獲物を狙うかのごとく、ゆるやかに近づいてきます。
テレビの取材陣に気後れすることもなく、ゆっくりとゆっくりと。
カメラマンも男性に気付いたのですが、男性の異様な佇まいにカメラを下ろしました。

「おい、俺を撮影するんじゃねえぞ。兄ちゃん、誰の許可でここで販売してんだ?」
「土地の所有者を通じて、10時から15時までここを借りているのですが」
「営業許可は持ってんのか?おおうっ?」と明らかに恫喝モード。

見た目はとても怖い感じの男性だったのですが、
ぼくは上手く回りはじめた販売と撮影を崩されたことによる怒りのアドレナリンが、
徐々に身体中にめぐるのを感じていました。

「ちょっと待っててくださいね。今、書類をお持ちしますから」

ぼくは販売に必要な営業許可証、土地のレンタルの契約書、衛生管理責任者証明書、
さらには火に油を注ぐためにTSUTAYAカードもそっと添えて、男性にお渡ししました。

男性は書類を手に取り、TSUTAYAカードに関しては首をかしげていましたが、
販売に必要な書類はすべて揃っていると観念したのか、急にトーンを下げてきました。

「悪かったな、兄ちゃん。ちょっと様子を見るように頼まれてよ」
「誰からですか?」
「近所の店だよ。飲食店にも縄張りってのがあるのよ。うちらの商売と同じで」
「うちらの商売って何ですか?」
「何の商売だと思う?」
「ファンシーグッズの販売ですか?」
「わはは、まあ、似たようなもんだ」

強面の男性は「じゃあな」と再びゆっくりとゆっくりと来た道を戻っていきました。
ぼくは、ふぅーっと深く長いため息をつき、1年分の疲れが身体に溜まったような気がしました。

「大丈夫ですか、佐藤さん」とNHKのディレクター。
「ええ、よくあることです」とぼくは慣れた感じで答えました。
本当は初めてだったけど。

どしゃ降りの雨も強面の男性が去ってからすぐにやみ、
空には一筋の光がこぼれるように差し込んできました。

そして放送日までの3日間、ぼくはなかなか身体の疲れを抜くことができませんでした。

文 佐藤 喬

2017年06月17日

行商日記

行商日記 第33回

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NHKの取材当日、中目黒の空は重たそうな雲に覆われていました。
朝の駅前はスーツ姿の方であふれていて、歩くスピードがとても速く感じられます。

離島キッチンが中目黒で販売するのは今回がはじめて。

休日のイベント会場であれば、キッチンカーも居心地が良さそうなのですが、
平日の都心だと、ガソリンの代わりに栄養ドリンクを補給させてあげたくなります。

数年前に隣の駅の祐天寺に住んでいたことがあったのですが、
その時よりも行き交う人々が心なしか冷たい表情に見えたのは、
生まれてはじめての撮影にナーバスになっていたからでしょう。

「佐藤さん、売れるといいですね」とNHKのディレクターさんの笑顔。

緊張しているぼくを和らげてくれるやさしい言葉も、
売れなかったらどうしようというプレッシャーに意識変換されてしまい、
ぼくは蚊の鳴くような声で「はい」と答えました。

昼の11時30分販売スタート、と同時にお盆をひっくり返したかのような雨、雨、雨。

傘をさしていてもびしょ濡れになるような大雨に、
「お前なんか取材される価値はないんだ」という天の声を聞いたような気がしました。

とはいえ、NHKのディレクターさんが段々悲しそうな表情に変わってきたので、
この時ばかりは一人でも良いからお客さまに購入していただき、
販売の風景をカメラに収めさせてあげたいというボランティア精神が芽生えてきます。

そして、ぼくは、傘もささずにびしょ濡れになりショップカードを配りはじめました。
行き交う人は、タオルでも配っているのかと勘違いして「なあんだ」とカードをその場で捨ててしまう方もいらっしゃいました。冷たい雨、雨、雨、雨。

そんな折、島根出身のご年輩の女性がぼくに小さなハンドタオルをくれました

「隠岐から来たの?この雨じゃ大変ね。ひとつもらおうかしら」

捨てる神あれば、拾う神あり。
ぼくはこの瞬間、人生の真理を垣間見たような気がしました。

「ありがとうございます!少々お待ち下さい」

取材陣もホッとしたような表情で、素早いカメラワークを披露しはじめ、
その甲斐あってか、次第にキッチンカーに人が集まりはじめました。

販売と撮影がうまく回りはじめ、ホッと一息つこうとした瞬間、
すこし離れたところで強面の男性が、ぼくをジッとにらんでいました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2017年06月07日

行商日記

行商日記 第32回

スーツ姿の女性がこちらに向かって歩いてきました。

女性の靴はヒールではなく、ペタンコのスニーカーのようなもので、
OLというよりは、ベテランの保険外交員のような雰囲気の方でした。

「離島キッチンの方ですか?」
「···はい」とぼくは多少の戸惑いを感じつつ答えます。
「NHKのディレクターをしているSと申します」

Sさんは番組名が印刷された名刺をぼくに渡してくれました。

「夕方のニュース番組なのですが、取材をさせて頂きたくて」
「今からですか?」
「いえいえ、後日、日を改めまして取材させて頂けたらと」

過去32年間の人生でテレビに映った経験はゼロ。

それにしても、赤坂サカスなんだからTBSの番組ならまだしも、
どうしてNHKのディレクターが赤坂サカスにいるんだろう?

ぼくは一瞬そんな疑問を頭に思い浮かべましたが、
まあ、そういうこともあるだろうなとすぐにその疑問を払拭しました。

「取材ですね、大丈夫ですよ」とぼくは答えました。
「ありがとうございます、また後で連絡させてください」
とSさんは答えて去っていきました。

ぼくの横では喜界島のNさんが不思議そうな表情でやりとりを眺めています。
もしかしたら「取材詐欺」みたいな都会の新しい詐欺にぼくが引っ掛かるのではと
不安に思っていたかもしれません。

喜界島のNさんが「じゃ、行きますか?」
とビールのジョッキを傾ける仕草をしました。
ぼくは「行こう、行こう」と両手にビールのジョッキを持ち、
ビールを浴びる仕草をしました。

Nさんと楽しい宴を終えた翌日、ディレクターのSさんから電話がきました。
取材は、一週間後の中目黒の駅前で販売している風景を撮ることに決定。

そして、撮影当日。

生まれてはじめての撮影で緊張しているぼくに、
予期せぬアクシデントが次々と襲いかかってきました。

文 佐藤 喬

2017年05月16日

行商日記

行商日記 第31回

行列をさばききった後、ぼくは胡麻の袋を持った若い女性の方へ歩きはじめました。
女性はショートカットのあどけない笑顔で、片えくぼが印象的な20代の方でした。

「はじめまして。喜界島のNです。これ、おみやげです」とぼくに胡麻をくれました。

喜界島という島の名前を聞いて、ぼくはようやくピンときました。
まだ行商の構想時期に、雑誌のソトコトに取材をしていただいたことがあり、
その記事を見てメールをくれた方が、目の前のNさんでした。

Nさんは栄養士の仕事をしているらしく、2年前に喜界島に移住されたとのこと。
秋頃に東京出張があるので、販売場所に行きますね、と書いてくださっていました。

ぼくは目の前の素敵なNさんもさることながら、手渡された喜界島の胡麻に
心を奪われてしまい、何度も自分の手元にある胡麻をチラチラ見ていました。

挙動不審なぼくの態度に笑顔で「どうぞ、開けてみてください」とNさん。

頂いたおみやげをその場ですぐに開けるのは失礼かなと思いつつも
生まれてはじめて手にする喜界島の胡麻の魅力に負けてぼくは封を切りました。

「···ぅわ」

一瞬、賑やかな赤坂サカスのイベント会場の時間が止まったように感じました。
胡麻の香りが会場を包み込み、あらゆる人が幸福に包まれているように思えました。

ぼくはNさんのことを心の中で「胡麻の妖精」と名付け、
Nさんの片えくぼが胡麻の形に似ているなと意味不明な妄想をし始めます。

「いい香りでしょ?この胡麻と塩のおにぎりは最高なんです」
「いや、これは参りました。本当に素晴らしい胡麻ですね」

その後、Nさんは販売終了までキッチンカーの仕事を手伝ってくれました。
そして、頂いたばかりの胡麻を鶏飯にかけたおかげか、最後まで行列が続きました。

「佐藤さん、仕事終わりに行きますか?」とNさんがグラスを傾ける仕草をしました。
「もちろん」とぼくは大ジョッキを傾ける仕草をしました。
そんな折、一人のスーツ姿の女性がこちらに向かって歩いてきました。

その女性の姿を見た時、ぼくの頭の中でカチリと何かが動きだすような音がしました。

文 佐藤 喬

2016年12月12日

行商日記

行商日記 第30回

ショップカードを配り終え、キッチンカーに戻ろうとしたその時、
想像もしなかった衝撃的な光景がぼくの目に飛び込んできました。

その光景とは「行列」でした。

離島キッチン号の窓口に、十数人ものお客さまが列をなしています。
ぼくは、慌てて走ってキッチンカーに戻り、お客さまからご注文をいただきました。

「鶏飯おふたつですね、ありがとうございます」とお金を受け取り、ご飯をよそおい、
具を乗せて、スープをかけて、お客さま一人一人に商品を渡していきます。

そして、行列が行列を呼び、瞬く間に30人以上の行列ができ始めました。

今までの販売では、自分の全人格を否定したくなるほどに売れない経験しか味わってこなかったため、この光景は夢なんじゃないかとぼくは何度も何度も自分の目を疑いました。また、大袈裟でもなんでもなく、生きとし生けるものすべてにありがとうと言いたいような、親密であたたかい「何か」が胸にジワーッと広がっていく素敵な体験をしました。

そして、ご飯をよそおいながら、ぼくはこぼれそうになる涙を必死にこらえていました。自分としても、まさか行列ができた時に涙が出るとは思ってもみませんでした。

ちなみに、中島みゆきに「化粧」という名曲があります。

その中に「流れるな涙、心でとまれ」というサビのフレーズがあり、
ぼくは鶏飯を作りながら、この曲のメロディーをずっと脳内リピートしていました。

でも、何も知らないお客さまから見たら、
「この店員さん、鼻をすすっているけれど花粉症かしら?」
と思っていたかもしれません。

そんな折、「佐藤さん」と呼びかける声がしました。
振り返ると一人の若い女性が胡麻の袋を手に持ちながら、笑顔で手を振っていました。

「胡麻?」

見たことのない女性が胡麻を手に話しかけてくる経験は今まで人生においてなかったので、ぼくは一体何が起こり始めているんだろう、と不思議の国に迷い込んだ気持ちになりました。

胡麻、胡麻、胡麻···。胡麻の謎はいくら考えても解けませんでした。
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文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年11月16日

行商日記

行商日記 第29回

外国製のキャンディーのようにカラフルな風船がイベント会場を彩っていました。
それまでは、溝口健二の雨月物語のような寂しい場所での販売だったので、
ぼくと離島キッチン号はこの華やかな会場になんとなく浮き足立っていました。

さて。

ぼくは今回の販売で新メニューを投入することにしました。
その名も鹿児島県奄美大島の「奄美鶏飯(けいはん)」。
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鶏飯とは、ご飯の上に、鶏肉やしいたけ、錦糸卵やパパイヤの漬物などをのせて
温かい鶏ガラスープをかけて食べる奄美大島の郷土料理です

そして、いよいよ販売がスタートします。
お客様の数は、今までの路地裏に比べて数百倍もいると思われ、
ぼくは会場の風船よりもパンパンの期待で胸がいっぱいでした。

が、しかし。

ぼくの甘い期待はあっさりと裏切られ、どうにもこうにも売れません。
お客さまはチラリとメニューPOPを見るも、
なかなか近寄ってくれない状況が続きます。

キッチンカーの中でお客さまを待ち続ける状態というのは、
誤解を恐れずに言うと、魚釣りをしている心境に近いものがあります。
海の中にたくさんの魚が泳いでいるのに、
なかなか釣り糸にかかってくれないもどかしさ。

昔、何かの本で、釣りは短気の人が向いているという文章を読んだことがありました
ぼくはそんなに短気ではありませんが、このままじっくりと日暮れまで売れない状況を
待ち続けるほど、気が長いわけではありませんでした。

よし、素手で掴みにいこう、とぼくは意を決します。
ぼくはキッチンカーを降り、
ショップカードを100枚持って群衆の中に飛び込んでいきました

「離島キッチンです、奄美大島の鶏飯を販売しています。よろしくお願いします!」

雑踏でのティッシュ配り以上のスピードで、
ぼくは一気に100枚のショップカードを会場のお客さまに配りまくりました。

配り終えた達成感を胸にキッチンカーに戻ろうとしたその時。
想像もしなかった衝撃的な光景がぼくの目に飛び込んできました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和