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2016年12月12日

行商日記

行商日記 第30回

ショップカードを配り終え、キッチンカーに戻ろうとしたその時、
想像もしなかった衝撃的な光景がぼくの目に飛び込んできました。

その光景とは「行列」でした。

離島キッチン号の窓口に、十数人ものお客さまが列をなしています。
ぼくは、慌てて走ってキッチンカーに戻り、お客さまからご注文をいただきました。

「鶏飯おふたつですね、ありがとうございます」とお金を受け取り、ご飯をよそおい、
具を乗せて、スープをかけて、お客さま一人一人に商品を渡していきます。

そして、行列が行列を呼び、瞬く間に30人以上の行列ができ始めました。

今までの販売では、自分の全人格を否定したくなるほどに売れない経験しか味わってこなかったため、この光景は夢なんじゃないかとぼくは何度も何度も自分の目を疑いました。また、大袈裟でもなんでもなく、生きとし生けるものすべてにありがとうと言いたいような、親密であたたかい「何か」が胸にジワーッと広がっていく素敵な体験をしました。

そして、ご飯をよそおいながら、ぼくはこぼれそうになる涙を必死にこらえていました。自分としても、まさか行列ができた時に涙が出るとは思ってもみませんでした。

ちなみに、中島みゆきに「化粧」という名曲があります。

その中に「流れるな涙、心でとまれ」というサビのフレーズがあり、
ぼくは鶏飯を作りながら、この曲のメロディーをずっと脳内リピートしていました。

でも、何も知らないお客さまから見たら、
「この店員さん、鼻をすすっているけれど花粉症かしら?」
と思っていたかもしれません。

そんな折、「佐藤さん」と呼びかける声がしました。
振り返ると一人の若い女性が胡麻の袋を手に持ちながら、笑顔で手を振っていました。

「胡麻?」

見たことのない女性が胡麻を手に話しかけてくる経験は今まで人生においてなかったので、ぼくは一体何が起こり始めているんだろう、と不思議の国に迷い込んだ気持ちになりました。

胡麻、胡麻、胡麻···。胡麻の謎はいくら考えても解けませんでした。
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文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年11月16日

行商日記

行商日記 第29回

外国製のキャンディーのようにカラフルな風船がイベント会場を彩っていました。
それまでは、溝口健二の雨月物語のような寂しい場所での販売だったので、
ぼくと離島キッチン号はこの華やかな会場になんとなく浮き足立っていました。

さて。

ぼくは今回の販売で新メニューを投入することにしました。
その名も鹿児島県奄美大島の「奄美鶏飯(けいはん)」。
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鶏飯とは、ご飯の上に、鶏肉やしいたけ、錦糸卵やパパイヤの漬物などをのせて
温かい鶏ガラスープをかけて食べる奄美大島の郷土料理です

そして、いよいよ販売がスタートします。
お客様の数は、今までの路地裏に比べて数百倍もいると思われ、
ぼくは会場の風船よりもパンパンの期待で胸がいっぱいでした。

が、しかし。

ぼくの甘い期待はあっさりと裏切られ、どうにもこうにも売れません。
お客さまはチラリとメニューPOPを見るも、
なかなか近寄ってくれない状況が続きます。

キッチンカーの中でお客さまを待ち続ける状態というのは、
誤解を恐れずに言うと、魚釣りをしている心境に近いものがあります。
海の中にたくさんの魚が泳いでいるのに、
なかなか釣り糸にかかってくれないもどかしさ。

昔、何かの本で、釣りは短気の人が向いているという文章を読んだことがありました
ぼくはそんなに短気ではありませんが、このままじっくりと日暮れまで売れない状況を
待ち続けるほど、気が長いわけではありませんでした。

よし、素手で掴みにいこう、とぼくは意を決します。
ぼくはキッチンカーを降り、
ショップカードを100枚持って群衆の中に飛び込んでいきました

「離島キッチンです、奄美大島の鶏飯を販売しています。よろしくお願いします!」

雑踏でのティッシュ配り以上のスピードで、
ぼくは一気に100枚のショップカードを会場のお客さまに配りまくりました。

配り終えた達成感を胸にキッチンカーに戻ろうとしたその時。
想像もしなかった衝撃的な光景がぼくの目に飛び込んできました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年11月11日

行商日記

行商日記 第28回

キッチンカーで販売をスタートしてから1週間。

勝どき&神田の路地裏は全戦全敗で、日ごとに自分の精神が
ガラガラと音を立てて崩壊していくのが分かりました。

モノを販売したことがある方ならば、ぼくの気持ちを理解して
頂けるかもしれませんが、「売れない→自分が悪い→自己否定」という
泥沼のような負のスパイラルに陥ってしまいます。

20時間働いて1日の売り上げが1500円という日もあり、
このままキッチンカーで何処かに逃げようかと何度も思いました。

とはいえ、このまま負のスパイラルに飲み込まれるのも癪だし、
生産者さんの顔を思い浮かべると、このまま負け戦を続けるのは
嫌だなと何度も深呼吸をして、畳を新しく入れ替えるように
自分の気持ちをきれいに整え、頭をクリアにして戦略を練りはじめました。

まず、ぼくは「どうしたらモノが売れるのか?」という命題について考察を始めます。

「販売している商品の情報を人々に伝えること」
「ここで販売しているんだよという販売場所の認知」
「商品の魅力化と費用対効果(お得感?)の追究」などなど。
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現状、島の食材は良いものを使用しているので、
あとはシンプルに「広告」に特化した動きをすればよいと結論を下しました。

最近でこそSNSやYouTubeなど、広告の様相も変化を見せはじめてきていますが、
当時はまだテレビCMや雑誌広告やチラシなどが広告の大半を占めていました。

とはいえ、キッチンカーでの販売に高額な広告費用をかけられる訳もなく、
とにかく、人の多い場所に出店をして、のぼりをたくさん立てる戦術を選択します。

そして、ぼくは出店場所として「イベント」に特化して探し始めました。
イベントは人が多いし、ご飯を食べる場所に困っている人もたくさんいるだろう、と。
場所を探し始めて数日で、赤坂サカスで販売することが決まりました。
日曜日の親子連れのイベントがある場所での販売でした。

そして、運命の日曜日を迎えます。
カラフルな風船が散りばめられた華やかな会場にぼくは離島キッチン号と訪れました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年10月23日

行商日記

行商日記 第27回

ぼくは彼女の話の続きに耳を傾けていました。

「私が一週間ほど夏休みをとって会社に出勤したら、もう先輩の机には何もない状態でした。周りの社員も理由を知らないみたいで。もっと上の役職なら知ってるかもしれないですけれど」
「じゃあ、まだ上の人には聞いていないんですね?」
「聞けば教えてくれるかもしれません。でも、そういうことを気軽に聞けるような雰囲気の会社じゃないんです。分かっていただけないかもしれませんが」

おそらく色々と気を遣わなければいけない会社なんだろうな、と彼女の表情から察しました。会社内での言動だけでなく、きっと外見にも同じように気を配らなければいけないのだろうと、彼女の上品なスーツ姿と控えめながらも隙のない化粧を見てそう感じました。

「その先輩とはそれっきりですか?」
「ええ。それで、わたし海士町のことを調べてみたんです。役場や観光協会のホームページを。そして、調べているうちに離島キッチンのホームページにたどり着いたんです」
「それで、今日来て下さったんですね」
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ぼくは、ふと思いついたことを口にしてみる。

「ちなみに、その先輩の携帯電話はどうですか?」
「実は、ここに来る前にかけてみたんです。でもつながりませんでした」

彼女はとても疲れているように見えました。そして、恋愛話じゃないと言いながらも、彼女はきっとその先輩のことが好きだったんだろうなと感じました。好きな人が何の前触れもなく消えてしまったら辛いだろうと、ぼくも自分の胸がキュッと締めつけられるようでした。

「ずっとここで営業されるんですか?」と彼女は話題を変えました。
「ひとまず一週間くらいは。でも、ご覧の通り全然売れないので、場所を変えるでしょうね」
「次の予定は決まっているんですか?」
「いや、まだですね」

彼女が先輩の姿を探して途方にくれているのと同じように、
ぼくも販売場所や今後の行商の成り行きに関して暗澹たる思いを抱いていました。

そして、彼女は「また、どこかで」という言葉を残し、去っていきました。いなくなった後も彼女の余韻のようなものが消えかけた炭火のようにくすぶっています。

それから半年後、ぼくは彼女と再会することになりますが、
その時は、ただただ白昼夢を見ているような不思議な気持ちでした。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年10月11日

行商日記

行商日記 第26回

神田の路地裏での夜更け過ぎ、鍾乳石から水がしたたるようなスピードで
彼女はポツリ、ポツリと昔のとある出来事について語りはじめました。

「昔、会社の先輩に海士町出身の男性がいたんです」と彼女。

過去の恋愛話かな、と思った時、彼女はぼくの思考に先手を打つようにして
「でも、恋愛とかそういう話ではないんです」と断りをいれました。

「三つ上の同じ部署の先輩でした。普段はすごく寡黙で、黙々と仕事を片付けていく職人タイプで、見た目も男っぽいというか、漁師さんがスーツを着ているみたいでした」

彼女は氷の溶けかかった喜界島をちょっと口にして話を続けた。

「ある日、その先輩の机の上にきれいな海の写真が飾られてあったんです。机の上に写真を飾るようなタイプには見えなかったので不思議な感じがしました。会社の女性社員の中でもその写真が話題にあがっていたし、ちょっとした好奇心もあって私から聞いてみたんです」

「綺麗な写真ですね、どこの写真ですか?」
「これ?地元の写真」
「地元ってどこなんですか?」
「島根。隠岐って知ってる?」
「なんとなく聞いたことはありますね。場所はすぐに出てこないですけど」
「えっとね(メモ用紙に簡単な日本地図を書いて、場所の説明をする)、ここらへん」
「島のご出身なんですか?」
「うん、海士町っていう島なんだ」
「あまちょう?」
「海に武士の士と書いて、あまって読むんだ」

「海士町っていう言葉をいう時、先輩がニコって微笑みました。普段、あまり先輩の笑顔を見たことがなかったので、いい場所なんだろうなと思いました。結局どういう理由で写真を飾ってあったのかは聞けなかったんですけれど、あの時、聞いておけばよかったと後悔しています」

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彼女はふたたび一息つくようにして喜界島を口にしました。

「···後悔?」とぼくは最後に言った彼女の言葉をつぶやきます。
「いなくなってしまったんです。ある日、突然。何の前触れもなく」

空は先ほどの雨天から一転して、星が見えるほどに澄み渡っていました。
そして、ぼくはその空をチラリと眺め、彼女の話の続きに耳を傾けていました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年10月02日

行商日記

行商日記 第25回

キッチンカーでの夜の営業は神田の路地裏。
外灯がポツンとともるだけの、都心とは思えないほどに寂しい場所でした。
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炭を起こしてさざえの壺焼きを売り始めるも、誰一人として見向くこともなく。
ただ炭の煙だけが、都会の夜空に吸い込まれるように消えて行きます。

100mくらい離れた交差点には、仕事終わりのサラリーマンの姿がチラホラと。
ぼくは、自分のことを「さざえ売りの少女」と名付け、さざえを手に交差点に向かいました。

「おじさん、さざえはいりませんか?」
「美味しい隠岐のさざえですよ」
「1個300円です。さざえはいりませんか?」

みな不思議なものを見るような目でぼくを見つめ、そそくさと去って行きます。
しばらくの間、信号待ちのサラリーマンの方々にさざえを売る戦法を繰り広げましたが、まったく戦果がなく、ぼくは敗将のようにうなだれてキッチンカーに戻りました。

そして、冷めてしまったさざえの壺焼きを1個ずつ頬張りながら、
ぼくは少年時代の秋田での温かい思い出を一つ一つ思い出していました。

しばらくして、小雨が降り始めた深夜10時すぎ。

一人の女性が「さざえカレーはまだありますか?」と
消え入るような声でキッチンカーにやってきました。

その女性は透き通るような、そして吸い込まれるような美しさで、ぼくはお客様に大変失礼ながらも、ついに死神がやってきたと内心おののいていました。

「···はい、まだありますよ。お持ち帰りでいいですか?」
「いえ、あの、お邪魔じゃなければ、ここで食べていってもいいですか?」

小雨の降りしきる人気のない神田の路地裏で、死神的に美しい女性が
さざえカレーを食べる光景は、どことなく淫靡で背徳的な風情がありました。

食べ終えた後、女性は「一杯いいですか?」と焼酎の喜界島を指さしました。
そして「少しお話させて頂いてもよろしいでしょうか?」と丁寧に話かけてきました。

ぼくは作業の手を止め、彼女の向かい側に椅子を置いて座りました。
それから、彼女はポツリ、ポツリと、昔のとある出来事について語りはじめました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年09月15日

行商日記

行商日記 第24回

今から7年前の2009年10月1日、キッチンカー販売の初日を迎えました。
メニューは「さざえカレーとさざえの壺焼きセット」で、価格は税込み1,000円。

販売場所は東京·勝どきの路地裏で、鉄工場の玄関スペースを間借りした場所でした。
朝5時に起きて自宅でご飯を炊き、7時に千葉を出発し、勝どきに到着したのが8時30分。

販売開始が11時だったので、メニューのPOPをどうやって飾るかとか、釣り銭の準備とか、ソワソワと落ち着かない時間を過ごしつつ、いよいよ販売開始となりました。

さあ売ってやるぞ、という意気込みだけは勝どき界隈で一番あったと思うのですが、
いかんせん路地裏ということもあり、人が全然通りません。


「···まずいな」

販売開始から1時間が過ぎ、一個も売れない状況が続きます。
どうしよう、どうしよう、と気が焦るばかりで打開策は見つからず、
ぼくはとてつもない失敗を犯してしまったのではと全身血の気が引く思いをしていました。

そして、一個も売れない状況が2時間続いた頃、一台の自転車が目の前で止まりました。

「あっ!」

自転車に乗っていたのは、カニくんというあだ名の男性で、
以前、島がらみのイベントで知り合った方でした(現在、カニくんは対馬に移住しています)。

「いやあ、販売初日だから来ましたよ」とカニくん。
「大盛況でしょ?」とぼくは涙ぐみそうな気持ちをぐっとこらえて、うそぶきました。

カニくんは自宅の埼玉からわざわざ自転車で勝どきまで来てくれたとのこと。
さざえカレーを購入していただき、その場で食べてもらううちに、
通りかかった方が数人、ご自宅用にカレーを購入してくださいました。

カニくんと会話をしつつ、カレーを販売しつつ、気が付いたら昼の営業時間が終わっていました。初日のランチの売上は11,000円。新札の千円札やくしゃくしゃになった千円札が11枚金庫におさまる映像は今も脳裏に焼き付いています。

その後、カニくんと別れて、ぼくは夜の営業場所である神田へと車を移動させました。
この神田の路地裏の駐車場で、ぼくはとある女性と出会うことになります。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年08月23日

行商日記

行商日記 第23回

出雲から国道9号線をひたすら走り、ぼくは離島キッチン号と京都で一泊することに。

ホテルに泊まろうかどうか迷った挙句、ぼくは離島キッチン号と共に初夜を過ごしたいという気持ちになり、京都をあてどなく走っているうちに着いた場所が「鞍馬山」。

話は変わりますが、ぼくは大学生の頃に47都道府県を野宿で旅したことがあり、
基本的には屋根があればハッピーという経験をしてきました。

その頃のことを思うと、離島キッチン号には屋根と冷蔵庫と冷凍庫が完備。
さらには水道やシンク、カセットコンロなどもあるので言うことなしでした。

深夜0時。
街灯ひとつない真っ暗な鞍馬山の山道わき。

あたりは木々がうっすらと見える程度で、車のヘッドライトを消すと完全な闇に包まれます。そして、言わずもがなですが、鞍馬山は牛若丸が武術や兵法を学んだとされる天狗の総本山。
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心霊現象や霊感などは全然信じていないのですが、鞍馬山の闇を目の当たりにした瞬間、ぼくの全身が一気に総毛立ち、「あ、これは天狗がいるな」と無条件に納得しました。

ただ、怖さや不安などの負の感情は一切芽生えず、むしろ、何か温かいものに包まれているような、柔らかな安心感が心に広がったのを覚えています。

深い森が広がる山道の脇に車を止め、ぼくは車内のキッチン通路に寝袋を広げました。そして、寝袋に身体を横たえ、車内の天井を見ていました。

すると、車の天井に「何か」が触れる音がします。

その音は、木の枝や葉が触れる音とは明らかに異なり、
例えるならば竹箒で車の天井をリズミカルに掃き清めているような音でした。

疑問を口にするまでもなく、おそらくは天狗が離島キッチン号に降り立ったのだと
その時は何の不自然さも感じずに、素直にその考えを受け入れることができました。

誰かにこの話を伝えたところで、変に思われるだけだろうからずっと言いませんでしたが、あれから7年経った今もなお、あの「何か」の音はリアルに思い出すことができます。

「結局、あの音は何だったんだろう?」

考えても答えは出ませんが、離島キッチン号との初夜を彩ってくれた不思議な音でした。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和

2016年08月16日

行商日記

行商日記 第22回

移動販売車を購入し、「離島キッチン」という屋号で行商販売をすること。
販売する商品は、海士町のものをはじめ全国の島の商材を取り扱うこと。

今回ぼくが海士町でプレゼンをするのは上記のような内容でした。

島の方からは「海士キッチン」や「隠岐キッチン」の方が良いのではというご提案をいただきましたが、将来的に全国の島同士で連携を図っていきたいという意向をお伝えし、また、上司の青山さんからも心強いバックアップがあったおかげで、プレゼンは想像以上にスムーズに進み、結果として事業のゴーサインを出していただきました。

ふう。

と、束の間の休息をはさんだ後、ぼくは頭に思い浮かぶ課題をまずは書き出します。

「どのような移動販売車を作るのか?」
「どこで営業をするのか?」
「保健所の許可をどうするのか?」

さらには。

「販売する商品は何にするのか?」
「商品の保管場所はどこにすればよいのか?」
「月の売上をいくらに設定するのか?」

大きな課題から小さな課題まで含めると、移動販売車を作成して
営業を開始するまでに全部で108もの課題がありました。

人間の煩悩の数と一緒の数字が出てきたことに、ぼくは意味なく満足し、
除夜の鐘のように、一つ一つ丁寧に課題を処理すれば何とかなるなと安心しました。

そして、3ヶ月後の9月27日。
ぼくは島根県出雲市のブルービーグルというお店で納車を待っていました。

完成した離島キッチン号は、ベージュを主体にしたシンプルなデザイン。
クロネコヤマトの宅配に用いられていたトヨタのクイックデリバリーという車を改造して、移動販売車に仕上げていただきました。
離島キッチン_移動販売車

よろしく頼むぜ、とぼくは心の中でつぶやき、そっと離島キッチンの車体に手を触れました。そして、出雲から東京へ向けて、ぼくは離島キッチン号を運転しはじめました。

写真 文 佐藤 喬

2016年08月04日

行商日記

行商日記 第21回

ぼくは離島キッチンの企画の説明をするため、久しぶりに海士町を訪れました。

崎地区にある「健康センター」の一軒家はすでに解約をしていたので、
ぼくはサミーラさんというスリランカ出身の方の家にしばらく居候をさせていただくことに。

今までの人生で、スリランカの方と一つ屋根の下で過ごしたことはありません。
日本人とでさえ初対面の方とは打ち解けるのに時間がかかるのに、いわんやをや。

文化や言葉の壁にはばまれ、サミーラさんにものすごく気を遣わせてしまうのでは
ないだろうかと、ぼくはまだ見ぬサミーラさんに申し訳ない気持ちで一杯でした。

が、しかし。
海士町の菱浦港で初めて出会ったサミーラさんはぼくにこう言いました。

「コンニチハ、変態ナル、佐藤サン」

おやおや?日本語は流暢に喋っているけれど、単語の使い方が間違っているのでは?
初対面の相手に「変態」と言う文化は日本にはないはず。いや、おそらくは世界にも。

そうか、分かった。おそらくイタズラ好きな誰かが、サミーラさんに「親愛」のことを「変態」とわざと間違えて教えたに違いない。

正さねば、これは一人の日本人として早急に正さねば。

「サミーラさん、こんにちは。変態という言葉の使い方が間違っていますよ」
「エ?ダッテ、佐藤サン、⚪︎⚪︎ノ話ヲ青山クントシタデショウ?」

以前、ぼくが若い方の青山くんに酔っ払いながら話していた内容を、サミーラさんは流暢な日本語でぼくに伝えてきました。うん、その話題であれば変態と呼ばれても仕方がない。

ぼくは初対面の相手に変態と言い放つ新しいコミュニケーションに対して、目から鱗が落ち(正しい使い方かどうかはわかりませんが)、見えない心の壁が音を立てて崩れ落ちていくのを感じました。そして、ぼくもサミーラさんに中学時代からの悪友のような親近感を覚え、この日を境に夜通し酒を飲む仲間になりました。
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恐るべし、海士町コミュニケーション。
翌日、二日酔いのまま、ぼくは離島キッチンのプレゼンに臨みました。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和