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2016年12月12日

離島入門

離島入門 第11回 食材探しの旅 利尻島4

たどり着いた先、「ムネのところ」とは、「TSUKI」という、利尻出身の店主のムネさんが営むお店でした。さまざまな商品を開発して夏場は漁業にも携わり精力的に活動をしておられます。バーカウンターとお座敷のおしゃれな空間です。
島の人同士は殆どが顔見知りなので、どこかお店に行くにしても、店の名前ではなく、「○○さんのところ」といういい方になるのも島らしいなあとしみじみ感じます。

「ムネ、『島のりのおにぎり』を一つ。この子が一個食うから。」

と利尻町の佐藤さんが注文してくれました。
運ばれてきたのはかなり大きなまん丸のおにぎり。周りにはびっしりと醤油で濡らした「のり」が巻いてある。この海苔は醤油にビタビタに浸すのがうまいんだよ、と教えてもらう。
でも、見た目からすると、普通のおにぎりでは?これが私に是非食べてもらいたい逸品?と少々訝しく思いながらも食べてみる。
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「!」

口の中に広がる香り、独特の風味。お醤油の水分と反応してますます風味が引き立つ気がするし、いつも食べている海苔とは明らかに違う感動。
聞いてみると、「島のり」とは、岩場に自生する海苔のことで、人の手で一枚一枚丁寧に剥がしてつくるそう。
「おにぎり」は日本人の馴染みの食だけれど、この劇的な出会いをまだ味わった人に是非味わってもらいたい。少し高価だと聞くけどお店で出したい。

早速良い収穫があったと、うきうき気分で終わった一日目。
翌朝、東京の神楽坂店へ連絡するついでに、素晴らしい「島のり」との出会いについて、電話に出た代表の佐藤さんに報告する。

「それってもしかして、『岩のり』のことじゃないかな。隠岐にもあって、本当に高価で島でもなかなか手に入らない貴重な食材なんだ。」

私にとって、メニューを企画し、価格設定をして提供をするというのは初めての経験でした。いくら良いと思ったものも、島内において希少で貴重だったり、鮮度と輸送の問題があったり。一つの食材の提供についても、多くのことを考慮しなければならないものなのだということを初めて肌で感じました。ただ、この食材を神楽坂でも出してみたい、という夢見る勇気だけはいつも持ち続けよう、と自分を励ましました。

現実を思い知り、島最初の衝撃の味を神楽坂に持ち帰ることは泣く泣く断念し、
私は次に泊めていただく約束をしていた「利尻らーめん味楽」さんのお宅に向けて出発しました。

【島のお店のご紹介】
利尻島 やきとり・もつ鍋・地酒のお店 月
http://tsukirishiri.wixsite.com/tsuki
利尻島にお立ちよりの際は是非どうぞ!

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2016年10月11日

離島入門

離島入門 第10回 食材探しの旅 利尻島3

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稚内からフェリーでおよそ 3 時間半。 利尻島・鴛泊(おしどまり)港に船が着きました。

空港から出て外気を吸った時、 島ならば船から港を降りてその土地空気に触れた時、
旅をしているんだなと改めて実感します。

冷たかったり湿っていたり、 暑かったり寒かったり。 それまでの日常とは違う感覚が これからの旅を予感させます。

その日の利尻は 6 月の割に涼しくて 湿り気のない、すきっとした空気でした。 しとしと雨が降り、島中央の利尻山には雲がかかっていたというのに その街並みから活気をなんとなく感じたというのが最初の印象です。

「やあ、よろしく」

港に降りて最初に声をかけてくれたのは、 利尻町役場の佐藤さん。
事前に連絡を取り熱心に島の情報を伝えてくれた方です。 シンプルで張り詰めていないその挨拶がかえって自然で、私は安心して、すっと島に降りていくことができました。

到着日の晩は、佐藤さんが呼びかけてくださり、 早速利尻の方々と島の食材を味わうことに。 案内していただいた居酒屋さんのメニュー表を開くと、 たくさんの狙っていた食材、聞いたことのない食材のメニューがずらりと並んでいます。

メニュー選びの瞬間というのは、とてもワクワクします。 今晩の食卓をいかなる料理で彩るか、戦略を練る。 定番もの、食べたことのないもの、直感で気になったもの… 利尻の食への門戸が開かれて、脳内でひとり、今宵のラインナップ構想を練り始めた時。

「よーしじゃあ、端から全部食っていくか!な!」
「初めてならこれも食べなきゃ」
「ちゃんちゃん焼きは外せないなあ」

利尻の方々は私をよそに、すごい勢いでメニューを次々に頼んでいきます。 唖然としていると、 「ちょっと辻原さん何してるの、メモ!あとカメラ用意!」との声。

ワイワイと盛り上がり、私は言われるがまま、食材の情報を記録します。
今晩の食卓の主導権は完全に握られた。でも、頼もしくて、楽しい。
テーブルの上にはずらっと利尻の食が並びます。
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・ほっけのちゃんちゃん焼き…北海道本土では鮭を使うのが有名だが、利尻ではホッケを使うのが一 般的。味噌とねぎをのせて焼く。見た目のインパクト 。
・ほっけのかまぼこ…「ほっけは買うものではなく、もらうもの。」ほっけをすり身にして揚げる。各家庭で味付けが異なる。
・ぎすこ(ギスカジカの魚卵)…見た目はたらこのよう。濃厚な味。
・ソイの刺身…白身。脂がのっている。噛むほど旨味。
・ホヤの塩辛…ほのかな甘み、コリコリとした食感。

瞬きもせず食材を眺め、味わい、ひたすら食材のメモをとって利尻の方々とお話をする夜は、ワクワクし気分も乗ってきます。

「どうだ~利尻の食は?」
「おいしいです!!!」

相当な量の食事に舌鼓を打ち続ける私の姿は、 周囲を驚かせ、
「この子にもっと食べさせなければ」という、 まるで育ちざかりの高校生に対するような空気感と奇妙な展開を生み出ました。

「他に食べきゃならないのは…。
そうだ、例の『おにぎり』はどこで食べれるんだっけか?」
「あー、ムネのとこだな。」
「よし、行ってみよう!」

ムネのとこ?疑問を抱えつつも未知なるおにぎりを目指し、お店を後にした夜更け。この後、私は驚きの食に出会います。

写真 文
辻原 真由紀

2016年09月29日

離島入門

離島入門 第9回 食材探しの旅 利尻島2

「時間がないんです!お願いします!」
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稚内空港に着き、フェリー乗り場に向かうバスに乗ろうとすると、こんな声が聞こえ てくる。パンツルックに黒いショルダーバッグと小さなキャリーバッグ、そして右手 に小さな旗。ああ、ツアーコンダクターの方だ。とすぐに分かりました。

6月の稚内行きの機内は、身軽な一人旅らしき人や、トレッキングが似合いそうな活 動的なご夫婦などで賑わっていました。一方、自分の恰好は、背中にリュック、大き なスーツケース、片手に紙袋。明らかに浮いているこの姿もすべては島で使う「武器」のため。そう、荷物の半分を占めるお菓子は初めて会う人とお近づきになるのに 欠かせません。美味しいものは人を明るく幸せにするというのが私の信条。
羽田空港のお店の人に、「海外にご出発ですか?」と屈託のない笑顔で話しかけられるが気に しない。気にしない。

バスは満員。体はなんとか入り込むスペースはあってもスーツケースまでは乗り切ら ない。今このバスに乗らなければ。早くも信条が揺らぎ、大荷物を恨みつつ立ち尽く していると、さっきのコンダクターさんがこちらに気づき、

「大丈夫?ほらここ、荷物と一緒に乗って。」
と、バスのお客さんに奥へ一歩詰めるよう声をかけてくださいました。

話を聞くと、バスに乗っていた殆どがこの方のツアー客で、飛行機の遅延により、あと十数分で稚内駅に着かなければ間に合わないらしい。そんな状況下でも私を気遣っ てくれたことに感謝が湧く。ドアが閉まり、深刻な表情でコンダクターさんと何やら 話し合った後、運転手さんはマイクを手に取りこう聞きます。

「JR稚内駅以外をご利用の方?」

誰も手を挙げない。私は途中駅で下車し、現地の市場を回ろうと思っていました。おそるおそる私が手を挙げる。
「ザッ」と車内中の人がこちらを向く効果音が聞こえる 気がする。

「お客さん、悪いねえ。急いでなかったら、先に稚内駅に直行してもいい?この人た ち、列車に間に合わないかもしれないんだってさ。」そう言う運転手さんに、私は、 もちろんです、急ぎましょう、と答えました。運転手さんは頷いてマイクをとり、

「えー、緊急事態のため経路を変更します。いつもより余計に軽やかに進みますので お気を付けください。」茶目っ気あるアナウンスに、笑いが起こり、車内の焦った雰囲気が弛緩し、一体感が生まれる。

バスは猛スピードで稚内駅を目指し、何とか時間前に到着しました。乗客が次々運転 手さんにお礼を言って降りてゆき、事情を聞いたコンダクターさんは、「ありがとね、食材探し、頑張ってね。」と声をかけてくれました。

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乗客皆が降りた後、運転手さんは大きなバスに私一人を乗せて、目的地の市場まで直接送り届けてくれました。私が旅の事情を話すと、運転手さんは島のいろいろな情報を教えてくれました。

お礼を言って運賃を払おうとすると、 運転手さんは、こう一言。
「ご協力のお礼に、お代は要らないよ。」

当時の外気は15度。それにも関わらず、心は温まり、まだ見ぬ土地へ行く気合も高まったあのバスには感謝です。

写真 文  
辻原 真由紀

2016年09月15日

離島入門

離島入門 第8回 食材探しの島旅 利尻島1

離島キッチンでは毎月スタッフ1名が好きな離島に「食材さがしの旅」に出かけます。
そこで出会った農産物や海産物、現地の方々のお話しをもとに、
月替わりの「今月の島の特別メニュー」をお出ししています。
およそ一年前、私が離島キッチンのスタッフ募集に出会った時のことです。
給与、休日、福利厚生...。
求人募集を見るときはこういった条件を見なくてはならないのかもしれませんが、
とにかく仕事はその内容で決めよう、と思っていた私の眼には
それらの項目は殆ど目に入ってきませんでした。唯一、私の目に飛び込んできたのが、
 
「福利厚生:食材探しの島旅(約1週間)」
 
の1行。そんな福利厚生聞いたことない。
 
知らないところに行って、まだ見ぬ食に出会う。それまで旅は好きだったけど、
自分の見たいものを見てやりたいことをやるいわば「消費の旅」。
でもこれは違う。小さい頃の憧れだった某人気旅番組のミステリーハンターのように、
自分で足を運び、触れて確かめたものを沢山の人に紹介する。
企業勤めの頃は旅が好きでも、行ける機会は滅多にありませんでした。
自分の旅を通して他の人にわくわくを与えられたら。ああどこに行こう。

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と、まだ採用も決まっていないのに自分の妄想は膨らみました。
 
今でも、食材探しの島旅企画のことをお客さまにお話しすると、
「うわ~楽しそう!」と 目をキラキラさせる方が多いのも、「島旅」という言葉に素朴さや、
自らの足で何かを探す真っ直ぐさや強さへのイメージがあるからなのだろうと思います。
 
神楽坂店のオープン以来、毎月スタッフが島へと旅立っていきました。 
こうさんは小豆島。
佐藤さんは石垣島。
菊地さんは八丈島。
松本さんは対馬。...
皆帰ってきたときは、島の食材のみならず、歴史や島の人たちの暮らしぶりまで知っていて、
それぞれの島のエキスパートがお店に増えていきました。
 
そして、2016年6月。ついに私の番。
「辻原さんはどこの島に行くの?」
 
なんとなく、じめじめしている苦手な梅雨を忘れられるところに行きたい。

なんとなく、冬生まれだし涼しいところに行きたい。
そういえば、尊敬してやまないあの歌手の出身地は北海道。
あれこれ考えながら、だしを取ろうと手に取った昆布の「利尻昆布」の文字。

そういえば、あの大好きな銘菓「白い恋人」のパッケージは利尻島の風景らしい。
チョコが好きなら見てきなさい、と誰かに言われている気がする。

「私、行き先は利尻島にします。」
私はなんとなくの直感を頼りに、利尻島を目指し、羽田空港から稚内へ向けて出発したのでした。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2016年08月24日

離島入門

離島入門 第7回「拘り」

「こだわり」とひらがなで書けば馴染み深い言葉ですね。
漢字でこう書くんだ、と知ったのは大学を卒業してからでした。

「ねえ辻原さん、挨拶でも、勉強でも、何か一つでいい。
自分でこれは大切だと思うことを拘って続けて表現しなさい。
必ず、続けてよかった、と思う日が来るから。」

これは、私が社会人となった初めての日に当時の上司からもらった言葉です。

当時は今とは別の銀行の仕事をしていて、新たなことを覚えるので精一杯。
「拘り」 と聞くと、気難しい顔の芸術家が語っているイメージで、
あまりピンときませんでした。
どこかの会社の社長さんが、「仕事の前に掃除をするとやる気スイッチが入る」 と言っていた記憶があって、私は毎朝職場の掃除をすることにしました。
すると、 「お客さま目線だと椅子についた埃が目立つな」とか、「ここにこれが置いてあると仕事がしづらいな」などと、仕事のヒントがあちこちにあり、この視点は掃除を通してでなければ得られなかったのでは、と思います。

今の私にとっての拘りの一つ、それは、ビールグラスです。
「とりあえず生で!」と いう一言が表すように、ビールはお客さまにお食事の最初にお出しする機会の多い存在。
ビールは、時間が経つと大麦由来の酵素と脂質が反応して臭いが出てしまいます。なので、お店ではどんなに忙しくてもビールグラスは必ず丁寧に泡をつけて手作業で洗います。

とある金曜日、スーツのネクタイを少し緩めつつ解放された表情の男性が 3 名。
私が運んだビールを見て、

「おっ、ここはいい店だね。」と言いました。どういうことですか?と聞いてみる と、

「ビールはね、グラスを綺麗に洗ってないと泡が綺麗に出ないのよ。このビールはきめ細かい美味しそうな泡が出来てるでしょ。これはグラスを丁寧に洗ってる証拠なんだ。だから、ここはいい店だ〜はい乾杯!!」

私への説明もそこそこに既に心はビールに夢中のお客さまでしたが、何とも嬉しい気持ちになりました。

ちなみに、前職の銀行で2年間掃除を続けているうち、職場のお掃除のおばちゃんと仲良くなりました。始めは勤務時間前に掃除をしながら世間話をする程度でしたが、
ある日、私が働く時間帯にお客さまとして自分を指名して預金をしに来てくれたのでした。自分の中での拘りが他の人に届いた時、新たな世界が広がるものと思っています。

綺麗に洗ったビールグラスの向こうに、どんな世界が見えるのか楽しみです。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2016年02月10日

離島入門

離島入門 第6回 「白イカのお造り」と「隠岐島の白イカのお造り」

私が小学校のとき、住んでいた家の裏には小さな家庭菜園がありました。

とうもろこしやトマトやしそ。
休日に両親が種まき・苗植え・水やりなどを一緒に手伝ったことがありました。
農薬も使っていないため、常に葉を食ってしまうバッタとの戦いでした。

当時の私はかなりの偏食で、野菜が大嫌いでした。
でも、苦労して毎日面倒を見たミニトマトの苗が伸びて、
まだ青いトマトの実をつけたとき、
「赤くなったら、食べてみたいな」と思ったのです。

自分で初めて料理をして食べたら、美味しかった。

という経験、小さい頃になかったでしょうか。
「食」の向こう側にある物語を知るということには
この経験に似た感覚があるなと、この頃思います。

私が離島キッチンのお店に立ち始めて、2か月と少しが経ちました。

お食事を出すとき、
離島キッチンの皆で決めていることが一つあります。
それは、必ずどこの料理か分かるよう島の名前を皆さんにお伝えすることです。

ところが、お店が賑わい忙しくなるとつい、
料理の名前を伝えるだけになってしまうときがあります。

「白イカのお造り」と「隠岐島の白イカのお造り」。

この二つの説明をした時のお客さまの反応には大きな違いを感じます。
「白イカのお造り」とだけ説明を受けたとき、
でもどこで取れたのか、誰がどうやって作っ たのか、分からないまま。
「海士町の白いかのお造り」と説明をすると、
「え?隠岐って島根県の!?あんなに遠くから?」とよく驚かれ、
そこからお客さまとの会話が始まります。
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白いかは、CAS(Cells Alive System)とよばれる瞬間冷凍の技術を使って
離島キッチンに運ばれます。
瞬間的に細胞を壊さずに凍らせ、
鮮度を保ったまま各地に海産物を運ぶこの技術を、
海士町は全国の自治体で初めて導入し、
「遠隔地」という離島のハンディキャップを 乗り越えることができました。

実はこの CAS、導入するのに約5億円。
当時の海士町の年間予算は約40億円ですが、
社会福祉費、議会の運営費など毎年の必要経費を差し引くと
自由に使える予算は年間1億円程度です。

CAS のために巨額をかけることへの反対もありましたが、
役場の職員が進んで給料カットを申し出ると、
それを見て町民は「役場は本気だ、それならば私たちも」と
ゲートボールの補助金や高齢者のバスの割引も辞退するなど、
行政と島の人々が力を合わせることで、なんとかこの費用を捻出できたのです。

こんな物語を知ると、海士町の白いかを食べたとき、
しみじみとした気分が湧いてきて、食べたとき一層幸せな気分になりませんか?

離島キッチンで、食の背景にある様々な歴史や文化、
生産者の想いを少しでもお伝えして、
幸せなひと時を提供したいと思う今日この頃です。

【参考】
山内道雄『離島発    生き残るための 10 の戦略』NHK出版 
2007 年 (海士町の町長である山内道雄氏の著書。
海士町の取り組みについて知りたい方におすす めです。)

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2016年02月09日

離島入門

離島入門 第5回「ないものはない」4

「まあまあ、こんな時くらい仕事のことは忘れて。今日はパーっとやろう!」

どこかの小説やテレビドラマで聞いたことがあるこの台詞。
実際、私も会社勤めをしていた時に使っていました。

大勢が集まり賑やかに「パーっと」飲食することを、
海士町では「直会(なおらい)」と呼びます。
もともとは神事終了後に参加者で
御神酒や神饌を共食することを意味する言葉です。

海士町滞在最後の夜、島の生産者さんたちとの直会に参加しました。

私の席の近くにいらっしゃったのは、
海士町の陶芸家・勇木史記(ゆうき ふみのり)さん。
2005 年に海士町に移住して、作陶活動を続けている方です。
その日は、勇木さんの窯を訪れ、やきものを見せていただいてきたところでした。
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隠岐窯でお会いした勇木さんは、穏やかで物静かな方だという印象を受けました。
「このお茶碗、ちょうど数日前に焼きあがったところなんですよ」
窯には、お茶碗やお皿、コーヒーカップなど。
その佇まいとやさしい色味から、土の温もりと安心した静かな気分を感じました。
その後、窯の裏へ案内してくださり、
いつかここに新しい窯を作って自然の中でやきものをつくりたいんだよね、
と楽しそうに話してくださいました。

直会での勇木さんは、最初の物静かな印象と打って変わりとても気さくな様子で、
その場にいらしたUターン・Iターンをして生産を行う方々と、
島に来た理由や島の美味しいものの話をしておられました。

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「みんなは、『最高に良い仕事』ができたって感じるのはどんな時?」

宴もたけなわ、勇木さんが発したひとこと。
今まで私がお酒を飲みながら話したのはいつも趣味や余暇の話。
私ははっとしました。
ふと周りを見ると、海士町の人たちは、
陶芸・食の生産・執筆活動…それぞれの取り組みに ついて熱く語っていました。
私にはそんな経験がありませんでした。
心の奥底では「仕事で こんなことをやってみたいな」という思いはありつつも、
自分の思いを口に出して、共感してもらえなかったらどうしよう、とか、
少し気恥ずかしい思いが今まであったのかもしれません。
でも、海士町に来てみたら、言葉足らずだとしても正直に話してみようかな、
と思える雰囲気がありました。私がしどろもどろになりながら話すことを、
勇木さんはじめ、海士の方々は、うんうん、と頷き、
時に相槌をうちながら真剣に耳を傾けてくださいました。

勇木さんが作ったお茶碗は、海士町のお米とともに離島キッチンでお出ししています。
一杯のごはんが、私に「ちゃんと良い仕事、できてる?」
と語りかけてくれるような気がし ます。

海士町には食をめぐる物語がまだまだ沢山。
これからも少しずつ紹介していきます。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2016年01月24日

離島入門

離島入門 第4回「ないものはない」3

海士町には、ないものを活かして生まれた様々な食文化があります。
例えば、「ふくぎ茶」
和菓子の高級楊枝に使われることで有名な クロモジの木の枝を煮出したお茶で、
全国に自生するこの木の枝を煮出して飲む文化は珍しいとされます。

私が最初にこのお茶を知ったのは、昨年の夏。
離島キッチンのスタッフ採用の面談で、
「海士では、クロモジの木の枝をお鍋で煮出して飲んでてね~」
とほのぼのと海士町について語るマネージャーの佐藤さんのお話を、
木の枝?鍋で煮出す?と頭に「はてな」を
沢山浮かべながら聞いたのがはじまりでした。

今では毎日お店でふくぎ茶の説明をする側にまわって、
「こんなお茶があるんだね」
「美味しいからもう一杯いただける?」
と興味を示してくださるお客さまの表情を拝見すると、
自分の説明が届いた嬉しさが込み上げ、
私も少しは離島キッチンのスタッフらしくなってきたかな、と
ふと思います。

島で昔から飲まれ、誰もが珍しく思わなかったこのお茶に目をつけ、
商品化に取り組んだのが、島外からやってきた一人の方でした。
そして、その生産を 2004 年から福祉施設「さくらの家」が担っています。
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海士町では、「さくらの家」の生産現場を訪れました。
青いきれいな壁の木造の建物の中に入ると、
黙々と真剣な様子で作業をしている方々。
部屋の真ん中には朝、山から採ってきたクロモジの木が高く積まれていて、
それを商品に使える小枝と葉、
それ以外の部分に仕分ける作業をしているところだという説明を聞きました。
その様子を眺めていると、

「やってみる?」

と、ふいに作業中のスタッフの一人の方が
採れたてのクロモジの枝葉の入ったかごを私の方に差し出し、
そしてまた前を向いて作業に戻ります。
一緒にしゃがみ込み作業をしますが、
枝は固いし、気の遠くなりそうな枝の束に苦戦する私の横で
スタッフさんたちは驚きの速さで仕分け作業をしていきます。
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「ほらできた。これが枝。こっちが葉っぱ。」

それまで真剣な顔だったスタッフさんが立ち上がり、こちらに向き直りました。
嬉しそうに、大事そうに、仕分け終わったクロモジのかごを持ち上げて見せて、
これをあっちの部屋で最後の確認をして、 袋に詰めてお茶ができあがるんだよ、
と説明して下さった時の、ぱっと輝く楽しげな表情を見て、
このお茶の包みに込められた思いを感じました。

一杯のふくぎ茶を見ると、
このできごとを思い出します。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2015年12月28日

離島入門

離島入門 第3回 「ないものはない」2

年の瀬になりました。
離島キッチン神楽坂店も、オープンから
あっという間に3か月が経ち、
私がここに来て1か月が過ぎようとしています。
今年も離島キッチンを応援くださり、 どうもありがとうございました。
心からお礼申し上げます。

年末といえば、大掃除ですね。
部屋も心もスッキリして、新たな年を迎えたいものです。

私は海士町に来たとき、
大掃除した後の部屋にいるような、
そんなすっきりとした気分を味わっていました。

海士町にはコンビニも電車もありません。

子育て支援や独自の教育に取り組み、
現在、子どもが増えているこの島。
島唯一の保育園も定員が80名から90名に増えたほど。
私が子どもの時、毎日楽しみにしていたのは、おやつの時間ですが、
おやつを売っているお店も多くはありません。

「子どもたちが食べるおやつは、つくってしまうんです。」

海士町で子育てするお母さんから、こんな話を聞くことができました。
「ここにはケーキ屋さんがありません。
でも、その分海士町のお母さんはお菓子作りの上手な人が沢山います。
上手な人のところに親子でレシピを習いに行って、
わいわいおやつの時間を過ごしたり、とっても楽しいですよ。」

「ない」のであれば作ってしまおう。
「ない」から「ある」へ変えてしまう
「人の力」を海士では感じました。

例えば、研修で訪れた「あまマーレ」。
もともと、保育園であった場所を活用し、
海士町集落支援員とよばれる人たちが、
地域で役立つ様々な取り組みを行っています。
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海士町では新しい食器や家具が手に入る場所は殆どありません。
同時に、地域のお年寄りの家の食器や家具などを処分するのに
手間やお金がかかり困っているという現状がありました。

そこで 2011 年、はじまったのが、「古道具やさん」というプロジェクト。
不要になった食器や家具をあまマーレで引き取り、
必要としている島の人の手に渡るようにしています。
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食器や家具の価格のうち、ほとんどは、
新たな人の手に受け渡すために食器や家具を洗浄する代金に使うそう。

必要以上にモノを求めないこと。
今あるものを上手に活かし暮らしていくこと。
ここにも、「ないものはない」の考え方が生きているのを感じました。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和

2015年12月23日

離島入門

離島入門 第2回「ないものは、ない」1

「おばあちゃん、なあにこれ?」
「『ないものはない。』だって。なんだろね〜?」
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日差しの暖かいとある昼下がり、
こんな会話をしながらお店の前に貼ってあるポスターの前を通り過ぎた
おばあちゃんと小さな女の子。
神楽坂店の前にも貼ってある、目を引く印象的なこのポスターは、
島根県隠岐諸島にある海士町が掲げるロゴマークです。

海士町(あまちょう)は島根半島の沖合から60キロほど北、
日本海に浮かぶ隠岐諸島・中ノ島にある人口2,400人ほどの町です。
一島一町のため、島全体を指して、「海士町」と呼ばれます。

隠岐といえば、私も歴史の授業で習った記憶くらいしかありませんでした。
鎌倉幕府との戦に敗れた後鳥羽上皇が流れ着いた場所が、ちょうど今の海士町。
争いに負けたとは言え、
かつての国の長ほどの者を島流しにする地として隠岐が選ばれたことからも、
隠岐は上皇の政治的権力を排除できるほどに都から離れた島でありながら、
食物が豊かで生きていくのには十分な環境のある場所だとの認識が
古くからあったことが伺えます。

「ないものはない」には、
•    無くてもよい
•    大事なものはすべてここにある
という2つの意味が込められています。
私はこのロゴマークを見るたび、先日、
離島キッチンのスタッフと共に、海士町を訪れた際のことを思い出します。

東京から鳥取県米子空港を経由し、更にフェリーで約3時間。
初めて訪れる場所には、緊張がつきものです。
ワクワクしつつも、受け入れてもらえるかな、とか、
失敗したら大変だから気を付けないと!
とか、いろいろな不安が頭をよぎります。
私は、少しでも緊張をほぐそうと海士町の本を読んだり調べたりして
その日に備えました。

「こんにちは」

不安と期待を抱え、海士町の港を一人でウロウロしていた時のこと。
見知らぬ人からの突然の挨拶。
驚きながら挨拶を返すと、
「あら~!どこから来たの?」
と、今度は通りかかった別の女性から続けての挨拶。

「海士町では、大人も子どもも、通りかかった人には誰でも挨拶します。
気持ちよく挨拶をしましょう」。たしか、どこかにそう書いてあった。
本には書いてあったけど、本当なのか!

「こんにちは。実は、東京から来たんです~」
そう返し、海士の人と会話がはじまった途端、もう緊張はほぐれていました。

都会には無い何かがここにはありそうだ。
これが海士町に来て最初に私が感じたことです。

文 辻原 真由紀
写真 幸 秀和