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2017年06月07日

行商日記

行商日記 第32回

スーツ姿の女性がこちらに向かって歩いてきました。

女性の靴はヒールではなく、ペタンコのスニーカーのようなもので、
OLというよりは、ベテランの保険外交員のような雰囲気の方でした。

「離島キッチンの方ですか?」
「···はい」とぼくは多少の戸惑いを感じつつ答えます。
「NHKのディレクターをしているSと申します」

Sさんは番組名が印刷された名刺をぼくに渡してくれました。

「夕方のニュース番組なのですが、取材をさせて頂きたくて」
「今からですか?」
「いえいえ、後日、日を改めまして取材させて頂けたらと」

過去32年間の人生でテレビに映った経験はゼロ。

それにしても、赤坂サカスなんだからTBSの番組ならまだしも、
どうしてNHKのディレクターが赤坂サカスにいるんだろう?

ぼくは一瞬そんな疑問を頭に思い浮かべましたが、
まあ、そういうこともあるだろうなとすぐにその疑問を払拭しました。

「取材ですね、大丈夫ですよ」とぼくは答えました。
「ありがとうございます、また後で連絡させてください」
とSさんは答えて去っていきました。

ぼくの横では喜界島のNさんが不思議そうな表情でやりとりを眺めています。
もしかしたら「取材詐欺」みたいな都会の新しい詐欺にぼくが引っ掛かるのではと
不安に思っていたかもしれません。

喜界島のNさんが「じゃ、行きますか?」
とビールのジョッキを傾ける仕草をしました。
ぼくは「行こう、行こう」と両手にビールのジョッキを持ち、
ビールを浴びる仕草をしました。

Nさんと楽しい宴を終えた翌日、ディレクターのSさんから電話がきました。
取材は、一週間後の中目黒の駅前で販売している風景を撮ることに決定。

そして、撮影当日。

生まれてはじめての撮影で緊張しているぼくに、
予期せぬアクシデントが次々と襲いかかってきました。

文 佐藤 喬