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2016年06月02日

行商日記

行商日記 第16回

販売初日、用意した岩がきの数は100個。

朝から夕方まで販売する予定だったので、
大体1時間に10個くらい売れたらいいなという、
道端で水たまりをチャプチャプするようなゆるやかな気持ちで
ぼくは販売に臨んでいました。

「すいません、岩がきふたつください」

最初のお客様は大阪から遊びに来たという20代のカップル。
隠岐ってどこにあるんですか、とか、岩がきって初めて食べるんです、とか
和気あいあいとした会話を繰り広げているうちに、自然と行列が出来はじめた。

その行列は、夕方の仕事終わりの土砂降りのように激しく唐突で、
瞬く間に30人ほどがズラリと岩がきを求めて並び始めている。

やばい、この状況は想定していなかった。
ぼくの笑顔は急速に引きつり、震える手でバーベキュー台に岩がきを乗せ始める。

岩がきを開けるのが慣れていないとか、行商をするのが今日はじめてなんです、
という甘い言い訳はこのズラリと並んだ行列のお客様には一切通用しない。
並んでいる全員がぼくの岩がきを開ける手元を眺め、ニヤニヤしている気がした。

こういう時、人間は未知なる力を発揮するものである。

ぼくは、岩がきにありがとう、ありがとう、ありがとうと高速の念仏のように唱え、
岩がきの貝柱の位置も、もはや透視できるかのように察知する能力を開花し始めた。
火事場の馬鹿力とはこういうことを言うんだな、とぼくは悟りの境地に入りはじめる。
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こうなったら、後はノリノリである。

岸和田のだんじり祭りの屋根の上に乗っている人のごとく、
ぼくはお祭り気分で岩がきを開けまくり、約1時間ほどで100個の岩がきを捌ききった。
空手の百人組手のように、一人一人のお客様と対峙し、
大きな事故もなく岩がきを販売しきった感動と心地よい疲労。

「もしかしたら、販売の天才かもしれない」

そんな不遜な思いが頭をよぎるも、この半年後、
ぼくは精神が崩壊するほど手痛い思いを味わうことになるとは
知る由もありませんでした。

文 佐藤 喬
写真 幸 秀和