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2017年07月05日

移住入門

移住入門 第13回

小豆島に来て楽しみにしていたことがつい先日行われました。
松明の灯りと鮮やかな緑色の苗が夕陽に映える、虫送りです。DSC_0123

農作物の害虫除けや豊作を願って古くから日本各地で行われてきた虫送りですが、
小豆島が舞台となった「八日目の蝉」のワンシーンで登場したその様子を画面越しで見て以来、いつか実際に自分の目で見てみたいという想いがありました。

ちなみにこの写真は小豆島の肥土山地区で行われたもので、
7月8日には中山地区で虫送りが行われます。
ご都合よろしければ、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

島と言えば大きさや地形、気候にもよりますが私の中で山か海かと問われれば海寄りのイメージがあったので、
海よりも断然山寄りのイメージがある棚田の風景が島で見ることができるのはちょっと不思議な感覚でありました。

でも実際には色んな島でお米は生産されており、
有名どころだと朱鷺と暮らす郷のお米を生産している佐渡島。
私自身が実際に見たことがあるのが豊島(香川県)と中ノ島(島根県海士町)です。

豊島の田んぼは山の地形沿って緻密に切り崩した棚田で、棚田の先には海が広がっており棚田全体の大きさなど石川県輪島の千枚田に似たようなもの感じました。

中ノ島(海士町)は、離島キッチンで使用しているお米の生産地です。
大小様々な田んぼが棚田を成しているというよりかは、
よく平地部で見るような大きくてきれいな四角形を成した田んぼであり
自給率は100%を超えるほどのお米の生産量があるとか。

他にもいろいろな島でお米が生産されているそうですが、
地形が複雑で田んぼを作るのに工夫が求められる島の棚田は、
昔の人が知恵を絞り汗水かいて作った棚田のその背景を強く感じられるので、
これからも残していきたい風景だと思います。

余談ですが個人的に見てみたい島の棚田があるのですが、
それは山口県祝島の「平さんの棚田」です。
30年かけて築いた棚田は高さが5メートルを超えるほどの石垣が何段もあって、
真下には青い海が広がり天空に浮かでいるかのように感じられるそうです。

いつか、島の棚田○○選を作ってもいいかもしれませんね。

つづく。

2017年07月01日

移住入門

移住入門 第12回

遠くに見える船はまるで止まっているように見えます。
DSC_0033 (3)

小さいときは空遠くに飛ぶ飛行機を見るのが好きでした。
「あの飛行機進んでいるのかな」と感じるくらい遠い空を飛んでいる飛行機です。

そしてそれと同じくらい海を行き交う船をぼっーと眺めるのが好きです。
海路の大動脈を成してるこの海は、右から左、左から右へと貨物船や漁船やら多種多様なたくさんの船が行き交います。
船は速度が遅い分ちょっと遠い所高い所から海を見下ろせば、
本当に止まっているじゃないかなってくらい不思議な光景です。
絵のような風景を眺めている時間は至福なひと時です。

さて、島って時間がゆっくりと流れているイメージがありませんか。
生活にも慣れ色んな余裕が生まれた今日この頃、
この時間感覚を意識するようになりました。

都会の高層ビルみたいに太陽を遮るものがないので、
1日をかけてゆっくり昇っては沈んでいることを実感します。
渋谷のスクランブル交差点のように常に車、人がひっきりなしに動くことはなく、
目で追うものが少ないのでなにかとゆっくりと感じます。
分刻みで運行する電車に合わせて予定を組む必要もなく、
ここではあんまり時計も見ることなく時間を意識することが多くはありません。

都会での生活に慣れ親しんできた分、余計に強く感じるのかも知れません。
自然との距離感の近さを感じながら過ごす毎日です。

たまには見るものやること何もかもが常に動いている日々があってもいいかもしれませんが。今日も朝日が昇り、夜風と月夜がなんとも綺麗な島の一日です。

つづく。

2017年06月21日

移住入門

移住入門 第11回

この週末は小豆島を離れ、瀬戸内海に浮かぶ別の島に行ってきました。
その島の名前は六島(むしま)。
岡山県最南端に位置する六島は、岡山県笠岡市の港から海上タクシーに乗ると40分ほどで到着します。

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その日は、島の休耕地に水仙の球根を植えるボランティアツアーの
「水仙植えるカムツアー」に参加しました。
六島は灯台と水仙の島とよく言われます。
瀬戸内海を横断する大型船を一望できる場所にある六島灯台と、
その周りに咲き誇る水仙の可憐の姿はなんとも美しいものです。
これらの水仙は、島の人を中心に島外ボランティアも加わって植え付けが行われた球根が花を咲かせます。

さて、私にとってこの六島は特別な思い入れがある島です。
話は学生時代に遡るのですが、春の長期休暇の時にこの島で行われたインターシップに
1か月ほど参加したことがありました。

以前の記事にも書いたように
某自動車会社の小豆島がロケ地のコマーシャルを見た大学入学当初よりそれとなく、
「将来は瀬戸内海の島でのんびりと暮らしたい」
というような想いをもっていました。
そんな想いで瀬戸内海へは何度か旅行で訪ねていたのですが、
観光で見るのと実際に住むとでは違うはず。
「実際にそこでの暮らしはどうなんだろう」と思った時に出会ったのが、
このインターンシップです。

私にとっての瀬戸内海はただただ美しいものだと思っていました。
ですが、実際には高齢化などによる医療、福祉の問題や少子化による教育の問題、
後継者不足による休耕地や空き家の増加の問題など
インターンシップを通じて実際に島の人と生活を共にすることで、
様々なものを抱えている島の現状を知りました。
表面的なものばかり見ていた私は、
来る前にもっていた理想と実際に来て見て知った現実とのギャップに悩みます。

ただその中で、島の人のやさしさや島への愛情に触れることで、
将来的にただ単に島でのんびり過ごすというよりかは、
実際に島が直面している問題に携わり、
島の人と一緒に考えていきたいという想いが芽生えてきました。

そういったわけでその後は芽生えた想いをもとに数々の事を経て、
今現在は島に住んで働いています。

そんな六島ですが無事に小豆島への移住を果たし、
前より色んな意味で近い存在となったわけではありますが、
これから様々な形で関わっていけたらいいなと思います。

つづく。

2017年06月17日

移住入門

移住入門 第10回

それは、夏を告げる風物詩であります。
およそ一週間ともいわれる儚い命は、お互いを呼び寄せるために光を灯すそうです。
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小豆島ではホタルの見ごろを迎えました。
前回の記事の最後にちょっこと書いた棚田が美しい中山や、
小豆島で一番大きなダムである吉田ダムの周辺でホタルを見ることできました。
都会のネオン街を見て育ってきた私はホタルを見た記憶がほとんどなく、
そもそも見た事実すら忘れかけているくらいホタルとは縁のない22年間を過ごしてきました。なので、今回見たホタルは生まれて初めて見るような感覚でした。

中山と吉田ダムの周辺のそれぞれでホタルを見たのですが、
吉田ダムの周辺ではホタル祭りという祭りと合わせて見ることができました。

このホタル祭り「ホタルの写真を少しばかり撮りに行こうかな」
というような軽い気持ちで行ったのですが、会場に着くとびっくり。
車はすでに数百台は停まっており、お客さんの数もざっと数千人くらいで、
移住して以来一番の人込みを感じるほど、沢山の人で賑わっていました。

野外フェス顔負けなステージが設けられ、
地元の人のバンド演奏やダンススクール生によるダンスの披露。
また出店も豊富に揃っており、ビールから焼き鳥、フランクフルト、かき氷など。
よくあるような夏祭りの感じだと思います。
ただ、やっぱり島である分、自然との距離が断然近いのです。
周りを遮るような建物も、ビル群の灯りもない。
海がすぐ近くにあって、背景には山がある。
これらの自然は祭りには映えるのです。

肝心のホタルも素敵なものでした。
地元の人の会によって大切に飼育されているホタルですが、
今まで見てきたネオン街と比べたらほんのわずかな光ではあります。
ただそのわずかな光が描く曲線はなんとも幻想的なものでした。

これから本格的な夏の時期に入ると小豆島では毎週のようにどこかでお祭りが行われるそうですが、それが楽しみでなりません。
休みの日が何とも楽しい小豆島での生活です。

つづく。

2017年06月07日

移住入門

移住入門 第9回

つい先日、小豆島ではとある花の開花が見頃を迎えました。

初めて見たその花は、まるで小さな目玉焼きのような花でした。
小豆島といえば、オリーブ。
そうです、オリーブの花が咲きました。DSC_0040

香川県花、香川県木でもあって、前回のオリーブマラソンのように、何か名前が付くのであればオリーブ○○と名がつくように何をとってもオリーブの島なのです。
小豆島の代名詞でもあるオリーブは島の至るところで見ることが出来ます。
オリーブ農家の農園や、個人宅の庭木、また街路樹まで。

そもそも、なぜ小豆島がオリーブで有名なのか。
もともと地中海が原産のオリーブですが、
日本に初めてオリーブが持ち込まれたのは1593年。
長崎県・平戸に渡航したイエズス会の南蛮渡来の献上品の中に、
オリーブの新漬けがあったそうです。
その後は薬用目的などで幾度と持ち込まれるようになったオリーブですが、
本格的に栽培がおこなわれるようになったのは日露戦争後。
日露戦争に勝利した日本は広大な漁場を確保し、
そこで水揚げされた魚の保存や輸送手段が検討されました。
その中で西欧諸国にて行われているオリーブオイル漬けする方法が挙げられ、
オリーブの国内自給のため栽培計画が国策として取り組まれたのです。
1908年に三重、和歌山、香川の三県で試験栽培が行われ、
そして唯一栽培に成功したのが香川県であって小豆島でした。
その後、栽培面積を拡大していき今日のオリーブの島となったわけです。

「景観は地域活動のストックだ」
と私の学生時代の指導教員は仰っていたことをふと思い出したのですが、
今日の島の至る所にあるオリーブの景色は、
小豆島の地とそこに住む人が共に歩んで来た素敵な景色だと改めて感じました。

成長の一過程でありますが、花が咲いて身をつける。
今まではそんなに意識したことはなかったのですが、
島じゅうにあるオリーブについつい目が向いては、様子が気になってしまいます。
銀色の葉にたわわに実る果実をつける、秋の収穫期が楽しみです。

つづく。

2017年06月01日

移住入門

移住入門 第8回

小豆島の海もだんだん青くなってきました。
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島に来た3月に見た海は、今より深い青色をした海だった気がします。
夏に近づくにつれて、この青はもっと鮮やかになっていくようです。
(小豆島の東側にある岩ケ谷の海岸から撮った写真です。)

小豆島ではほぼ毎週、島の各所で何かのイベントが開催されているような気がします。
前回のタガフープ選手権もそうですが、
直近の週末では「小豆島オリーブマラソン全国大会」が開催されました。
このオリーブマラソン、今年で40回目を数えるほどの歴史のあるイベントで、
日本各地から5,000人のランナーが島内を駆け抜けていきました。
惜しくも小豆島へ移住した際は、エントリーが締め切りとなっていましたので、
今回は見物人として見に行きました。
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マラソンコースは牛の後ろ足の付け根あたりに位置する坂手港をスタート、
ゴール地点として主に島内の南西部(牛の後ろ足)を走るコースでした。
醤油の蔵などが立ち並ぶ「醤の郷」を駆け抜け、時より海沿いの道に出ては瀬戸内海の穏やかな海を眺めることが出来るなど、嗅覚的にも、視覚的にも楽しいコース。
沿道には、自宅の前に持ち出した椅子に座って、地元の人が旗を振りながら声いっぱいの声援が響きわたっていました。
また、ホテルや旅館、島内企業の建物の前では給水所や、飴・かき氷などの補給所となっており、そこの人がランナーの方に手渡しては、「あともう少し!がんばれー!」と島総出の応援です。
マラソンの見物の経験はほとんどないに等しいのですが、
「こんなにも地域に密着したマラソンがあるのか」と驚くくらい小豆島らしさが出た素敵な雰囲気でした。
瀬戸内海の海や行き交う船を見ながら、また地元の方の声援を受けながら走るマラソンは何とも心地よいものでしょうか。

これから夏にむけて、棚田が美しい中山地区では蛍が行き交うなど、
季節は少しずつ変わっていきます。
海の青さと共に、夏に近づく小豆島を少しだけ垣間見れたひと時でした。

つづく。

2017年05月24日

移住入門

移住入門 第7回

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ここ、小豆島では先日とある世界選手権が行われました。

その名も「タガフープ選手権大会」

タガとは醤油づくりに使用される木桶を締める際に使われる竹製の輪っかのこと。
それをフラフープに見立てたのがタガフープです。
直径は身長より大きい2m。重さはなんと13kg。
そんな桁違いさを誇るタガフープですが、
多くの出場者は1秒、2秒、3秒の間にタガフープが床に落ちてしまいます。
ただその中には猛者がいて4分、5分も回し続けている方もいらっしゃいました。
ちなみに前回大会では352回が最高記録であり、10分越えだったそうです。

さて、小豆島といえば佃煮やごま油など多くの加工食品が製造されていますが、
中でも醤油は小豆島を代表する加工食品であり、日本有数の産地でもあります。
陸地部のように稲作をするのに適した平らな土地が多くはない小豆島では、
このような加工食品がたくさん製造されていました。
話は江戸時代へ遡り海運が盛んだった当時、交通の大動脈を成していた瀬戸内海では、九州や四国、本州を中継する物流の拠点となっていました。
そこで小豆島では九州から来た大豆や小麦を使用して加工し、醤油を作っていました。また同時に島では製塩も盛んに行われていたため、塩が必要な醤油づくりには最適な地であったのです。
出来上がった醤油は大阪などへ売りにいき、外貨を稼いでは醤油産業が発展していったわけなのです。

醤油づくりに使用される木桶ですが、小豆島には現存するものが1000以上あるといわれ、その数が日本にある木桶の半数以上ともいわれます。
しかしながら、木桶をつくる桶職人が年々減少し、
今現在は大阪にお住いの職人さん一人だけとなってしまい、
その方もご高齢のために今後数年で廃業になるそうです。
そこで、木桶を使用した醤油づくりの存続に危機感を感じた小豆島の醤油づくりの職人さんたちが中心となって「木桶職人 復活プロジェクト」が立ち上がったのです。
このプロジェクトでは、醤油づくりの職人さんたちが実際に木桶職人のもとへ訪ね、
木桶づくりを学ぶというもの。
また、その一連の流れで開催されたの木桶に使用されるタガを使った、
タガフープ選手権なのです。

タガフープ選手権は今回で3回目。
年々参加者は増えていき、日本各地、世界各地より多くの参加者が集います。
たかがタガフープ、されどタガフープ。

一見変わったイベントではありますが、
醤油づくりの職人らの熱い想いが秘められていたのでした。

つづく。

2017年05月16日

移住入門

移住入門 第6回

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この形、何かに似ていませんか。

そうです、牛の形に似ているのです。

私が小豆島へ移住してから、島の地理関係の説明を受ける際は、
何かと牛の形に例えられて説明を受けました。
お尻を突き上げ、左側(西側)へ勢いよく突き進む牛の形に見えてきませんか。

西側の頭に位置するのが前島と呼ばれるところです。
島の一番メインな港である土庄港や、引き潮の際に砂の道が現れ
恋人たちの人気スポットで有名なエンジェルロードがあるのがこの前島です。
牛のお乳が出る場所である前足と後ろ足の間(前足寄り)には、旅行パンフレットでは必ず見かけるギリシャ風車や昭和天皇がお手撒きされたオリーブがあります。
また、後ろ足の部分には、不朽の名作である「二十四の瞳」のロケ地を活用した施設である、二十四の瞳の映画村があります。
そして東側沿岸部であるお尻や尾が位置する場所には採石地が多くあります。
ここで採れる石は小豆島石と呼ばれるもので、江戸城修築や大阪城修築の際に
この小豆島石が多く使われました。
ざっとではありますが、主要なスポットを牛の形に例えて説明するとこんな感じでしょうか。

前回の記事で、小豆島は周囲100km以上あることに触れましたが、
この牛の形をした100km以上の道には主要なスポット以外にも見所があります。
小豆島へ移住して、車で何度か島一周のドライブをしたことがあるのですが、
何とも不思議なものでした。

ある地区を通り、そしてしばらくすると建物のない道を走る。
また別の地区が現れて、しばらくすると建物のない道を走る。
その連続ではありますが、地区ごとに見える景色が違ったもので、
一つの島ではあるのですが、まるで別の所にいるような感覚です。

日本どこかであるこの島には、
「どこか」にしかないたくさんのもの、ことがあります。
牛にはそれぞれの部位があって特徴があるように、
この島のそれぞれ場所にはそれぞれの特徴があります。
その一つ一つを今後詳しくご紹介出来たらいいですね。

つづく。

2017年05月10日

移住入門

移住入門 第5回

あなたが今見ている船はどこへ向かう船でしょうか。
これは高松から来た船で池田港(小豆島)へ向かっている様子を収めました。
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小豆島全体で発着する船の数は一日で100便以上あるそうです。
そのようなことを小豆島内にある企業の合同入社式の際に町長さんが仰っていました。
ここ1か月での生活で島に発着する便数なんて特別に意識したことはなく、あたかも当然の事として受け入れてきたのですが、改めて考えてみるとこの数字は結構すごい数字なのかなと思います。
雑な計算ではありますが仮に始発が6時で最終便が21時までの1日の船の運行時間が15時間として計算すると、平均で1時間に6本以上、10分に1本以上の船が小豆島に発着している状態になります。(正しい始発や最終便、一日の発着数に基づいたものではないので正確なことは分からないのですが、)
多くの船とそして人が行き交う、そんな小豆島です。

また、周囲100km以上ある小豆島には島一番の港である土庄港を皮切りに、
池田港、草壁港、坂手港、福田港、大部港の実に6つの港があります。
そしてこれら6つの港がそれぞれ向かう先は、神戸港や姫路港、日生港(岡山県備前市)、新岡山港、宇野港(岡山県玉野市)、高松港(高松東港も含んだ体)の四国、中国、近畿地方それぞれの港で6つに及びます。
この就航先にも驚くことがあり、日本の他の多くの島では船の就航先は1方向、2方向とそんな多くは無いのかなと思いますが、一方でそれ以上に小豆島が東西南北の様々な方向に6つ就航先があるのは多いことで、本州と四国に囲まれ内海に浮かぶ瀬戸内海の島ならではでないでしょうか。

これらのことは、船の時間に合わせて行動するのではなく、行き先の都合に合わせて行動することができて、私自身のここ1か月の実体験として感じた一番の良い所です。
山手線のように時刻表を確認せずに乗れる訳ではないのですが、
「まあ、港に行けばすぐには乗れずとも何かしらフェリーはあるでしょう。」
みたいな感覚で、一本乗り逃したから目的地に着かないなんてことは基本的には無いのかなと思います。

これからもお世話になる船の交通にはまだまだ奥深いものがありそうです。
もう少し詳しく調べて、またいつかの機会にご紹介したいと思います。

つづく。

2017年05月01日

移住入門

移住入門 第4回 

小豆島へ移住してある日のこと。
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瀬戸内海の春の風物詩でもある濃霧の様子です。

この日は高松、小豆島、宇野(岡山県)などを発着する多くの船便が欠航となりました。停船勧告と呼ばれる指令が海上保安庁より発令され、各フェリー会社が運航を取りやめたためです。
この停船勧告は瀬戸内の島々に住む人にとっては馴染なものらしく、
3月から6月にかけて濃霧が発生しやすいこの時期に発令されるそうです。
いろいろと詳しい条件はあるそうですが、
視界が500メートル以下となるのが1つの基準。
四国山地から下ってきた暖かく湿った空気が瀬戸内海の冷たい海風によって冷やされ、そして空気中に含まれる水蒸気が霧となってこのような濃霧を生み出します。

このような停船勧告が発令される裏側には、紫雲丸事故と呼ばれる瀬戸内海で起こった船の事故があるそうです。
1955年に発生したこの事故は、宇野港(岡山)と高松港を結ぶ、紫雲丸と第三宇高丸が濃霧の中、運航し衝突して沈没。
修学旅行中の生徒などを乗せた船は児童を中心に168名の犠牲者を出し、国鉄戦後五大事故にも数えられるほどの大事故となりました。

自然現象による船の欠航は小豆島に限らず、日本の多くの島々でよくあることですね。
特に東京の秘境、そして離島キッチン5月の島特集でもある青ヶ島の船の就航率は50%ほどとか。
島に行かれた方で、一度はこのような経験をされた方が多いのではないでしょうか。

移住する前までの生活では電車が動かなければバス、バスがダメならタクシーなど選択肢があって、どうにか目的地まで辿り着くことができたのですが、島では船だけ。
大体のことは島内で解決するのですが、それ以外のことが必要で島外に行かないといけないとき。そして緊急性を要されるとき。
こんなときに「停船勧告」に被ってしまったら・・・。

良いことも多いのですが、何かと難しい島での生活です。
この春の風物詩を日常と受け入れるようになれば、島の人となれるのでしょうか。

つづく。